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みんなの「アニメ」ブログ


日常系漫画のあるべき姿とは

2012/06/03 20:04
どうも、こんにちは。

微妙な更新頻度でお送りする「聖者たちの宴」を見捨てずによろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後に更新したのいつだっけ?

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やぁ、諸君、あざとーす。

いつもどこかで誰かに向って中指を突き立てている枕不倫だ。
毎度のことだが基本的には更新頻度はそんなに上がらない気がするので、まぁぼちぼちやっていくことには変わりはない。

人生の箸休めにつきあってもいいよ、という方は引き続きよろしく。


さて、大分前の話(正月)になるのだが、実家の方の映画館なら客もいないだろうとタカをくくって「けいおん!」の劇場版を観たのだ。
高校の頃はロックバンドもやっていた人間だから、けいおん!にはさぞかしハマっている(んだろうな、このキモヲタめ!!)、と思われるだろう。

いや、あんま好きじゃないのよね。
 
正確に言うなら京都アニメーション版:アニメ「けいおん!」が自分の肌に合わないのだ。

じつはけいおん!を知ったのは自分がグンマー王国実家から東京に出てきたときに、ふと立ち寄った秋葉原のゲーマーズでアニメ化の広告を見た時だ。
その時はとりあえず原典の漫画を買うか、と思って単行本1,2巻を買い、ついでにメロンブックスで18禁同人をいくつか買いましたけど何か?部屋で読んだ記憶がある。

日常系、というジャンルを知ったのもこの時だったので、今まで読んでいた(らきすた、あずまんが等)漫画がそういうもんなのか(そーなのかー byルーミア)と思ったものである。

で、当然アニメの方も見たのだが、なんとなく原作との作風の違いを感じてイマイチ面白く思えなかった。

おそらくそれは「けいおん!が軽音楽部してる」からなんだろう。

・・・・・・・え、ちょっと何言ってるのか分からないって?けいおん、っていうくらいなんだから軽音学部の話じゃなきゃだめだろう、って?

違うな、ワトソン君。けいおん!は軽音楽部ではいけないのだよ

もっと言えば日常系漫画:けいおん!と言いたいのなら、その軽音楽部の活動が主軸になり、青春をする!というのはご法度なのだと私は考える。

そう、かきふらい氏による原作では、あくまでも唯達の桜高軽音楽部は「日常生活の一コマ」として描かれていたのに対して、京アニ(山田尚子監督)によるアニメは「日常生活の目的となりうる演出のための軽音楽部」になっているのである。

ようは「スラムダンク」はバスケ漫画であることには誰も異論はないだろうが、あれを高校生活の場面があるからと言って日常系だ、と言うのは無理があるということである。

目的を持った時点でその漫画はその目的のためだけの漫画になるのではないのか?というのが私の主張である。

これを代表するのがアニメ一期の「唯がギターを買う」話だろう。

あの話、実は原作とかなり違う。

原作→唯がお小遣い前借り(5万円)して、じゃあ楽器屋行くか!→唯「レスポール欲しいれす(^q^ )」→ムギ「わかってるな?」→店員「」

アニメ→唯が前借り→楽器屋へ行き唯「レスポール(ry」→律「そういや私も値切ったんだっけ・・・」→ムギ「値切るとな?」→バイト→唯「やっぱり自分で買える金額のモノにするお」→ムギ「ニヤリ」→店員「あ、あなたは社長の娘さん・・・・!!」→ムギ「もうひとこえー!!」

というのである。

話としては多少脱線するが、アニメ版けいおん!においては”普通”に憧れるムギというものがかなり意識されていたと思う。この回でもアルバイトや律の値段交渉の部分に強く反応していて、実際にそれを楽しそうにやっていた節がある。記憶があいまいではあるが原作は基本的にはいわゆる“お金持ち”キャラとしての都合の良い扱い方を受けていたように思える(そのせいで微妙に存在感が薄いという気もする)。

じゃあなんでムギはそんなにも”普通”の唯・澪・律達と同じような体験を望むのかというと彼女は軽音部に入ったことが一つの人生の契機になっているのだと考えられる。どう考えたって超絶お嬢様だもんな(まぁ他の三人プラスあずにゃんや他のキャラにも言えることだが私立の女子高で偏差値も高いところに行ける時点で中流階級+αくらいの家庭の出身者なんだろうな、一戸建てのヤツ多いし)。

※原作においても律と休日を過ごしていたときは律の普段の遊びにはしゃいでいた回があるが、あくまでもあれは普段の日常としての面だと思うのでここでは特に考察はしない。

ようはムギにとっては軽音楽部って目的となっているのだ。自分の高校生活にとってのな。
※ムギというキャラってアニメ版で一番化けたキャラだと思うのだ。話すとこの記事では収まりがつかないので又機会があったら書く。

大分説明が長くなった。別にムギだけではなく他の面々にとっても軽音楽部というのが高校生活においてかなり比重の多い描かれ方をしているのがアニメ版の一つの特徴だと思う。

何が言いたいのか?と言うと



この作品は音楽による青春を描きたいのか女の子たちのキャッキャ、ウフフを追いかけたいのかはっきりしろ

ということだ。

話を映画版に戻すと、本来映画版は存在してはいけない作品だと思う。だって本編のミッシングリンク(天使に触れたよ、がどうして・どうやって出来上がったのか?等)を埋める(と観始めた時思った)はずが、観終わってみると

ただ単に軽音部の連中が騒いだだけ

でしかない。天使に触れたよの曲作りの場面の掘り下げ方が弱すぎるのだ。
いくつかけいおん!らしい面白さ(すしバーのとことか)はあったが、正直に言えば「舞台をロンドンまで移してやる必要があるのか?」という疑問が頭に常に残りながら観てしまった。

私のリアルの友人(音楽好き。ギターやベースを弾く)はこの映画を「何回でも観たくなる名作だし泣ける」と評していた。

これを枕的感想にすると次のようになる。

(中身がないから)何回も見たくなる(=記憶に残る部分が少ない)迷作だし、(天使に触れたよの演奏シーンであずにゃんが涙するのは確かに)泣ける(がそれはただ単に自分の卒業の時の寂寥感とかがフラッシュバックしてくるからだろう)。

この続きは次回に。まとまらねーわ、やっぱ。
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